このブログについて。

此処に足を運んでくださりありがとうございます。
少し記事が増えてきたのでこのブログについて説明をしておきます。

<カテゴリについて>
・絵……何か絵が書いてあります。この絵の中には悪趣味なものもありますのでご注意を。
・雑記……文章だけの場合は基本的にこちらに収納します。日記から呟き的なものまで様々です。稀に絵が記事内に貼ってある雑記もあります。
・お知らせ……ブログについてのお知らせとか色々です。
・未分類……分類サボった結果です。

<追記について>
悪趣味注意と書かれてある記事は、内容に残虐表現、流血表現等が含まれており不快になる方がいるかもしれません。そのため、「悪趣味注意」という注意書きのみを書き残りは追記に収納してあります。
追記を読みたい方はそちらをクリックするようにしてください。

また、極端に長い文章や独り言も追記に収納してあります。

<コメント・拍手返信について>
コメントは基本的にコメント欄で返します。管理者にのみ表示する設定の場合は返信は名前を伏せて記事内でそれとなく返信するかもしれません。遅くなるかもしれませんがご了承ください。
拍手返信については(今のところはありませんが)もし何かあればブログに拍手返信用のエントリを作成するか、随時記事で報告します。
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<その他何かありましたら>
随時ここのエントリのコメント欄などに書き込んでいただけると嬉しいです。
(拍手欄は確認が遅れると思います)
2009年11月06日 | Comments(2) | Trackback(0) | お知らせ

NOISE

音が聞こえた。
雑音、騒音、喧騒。  ……苦手、苦手、苦手。

耳に響くのは、聞きなれた怒鳴り声。
こんな夜中に。

疲れてるなら、早く眠ってしまえばいい。
苛々してるなら、早く眠ってしまえばいい。
辛いなら、悲しいなら。早く眠ってしまえば良いのに。

喧嘩しても、怒鳴っても、なんの解決にもなりはしないのに。
それはただ、恐怖を生み出すだけなのに……。




もう、慣れた。慣れたよ?
でも嫌だ、怖い。感情は消えない。

いっそ耳が聞こえなくなってしまえばいいんだと思った。
私にとって音は恐怖であることが多かった。
暗闇は、無音は、私にとっては慰めだった。いや、思考が停止できるということが、慰めなのか。
何も考えたくない。
何も考えたくない。

ただ真っ暗でも、真っ白でもいい。脳内を塗りつぶしてほしい。
そうやって、また、耳を塞ぐ。目を閉じる。

手の隙間からは、まだ怒鳴り声。
怒らないで、眠ってよ。
眠らせてよ。


夢は今は私の敵じゃない。
乱れたベッドの上も、敵じゃない。
小さな自室の外が、今は、怖い。
2009年11月05日 | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

I

 変化することは自然の摂理で、そこに意味も理由も、まして喜びなんか、ないと思ってたときがあった。
 それが大きな勘違いだったことを、私は知った。

 理性が失われることの恐怖は、次第に心地よさへと変わっていく。
 全てを見せるなんて、絶対にしないと思ってたのに。それはいつから変わったんだろう?
 自分がただ流されることの快楽を、屈服させられることの安心感を、与えられたのはいつだろう。

 一人でも大丈夫だと言い聞かせていたのに、
 今ではたった一人がいなくなるだけで、きっと私は壊れてしまう。
 それほどまでに大きな存在。
 貴方がいなければ、私は何も知らなかった。
 幸せも、喜びも、きっと空想の中の産物でしかなかった。

 ただ隷属していたいと願う自分の存在を感じる。
 全てを天秤にかけてもいい。 

 深い眠りに落ちていく。
 悪夢はもう見ない。
 倦怠感、満足感、 そして真っ白になる意識。
 幸せというものを感じる瞬間。


 また一つ、何かが変わった。
 変化する、変化させられる、そこにある感情は、少しの戸惑いと、恥じらいと、驚きと、…それ以上の充足感。
 背徳的な喜びが私を満たす。
 
 変えられていく、全てを蹂躙される。
 私は今、どんな表情をしているだろう。
 恍惚? 放心? 
  わからないけれど。それはきっと──貴方が与えてくれた悦びを享受している表情だろう。
2009年11月03日 | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

Japanese

日本人って真面目だよね。
それが多くの海外からの評価である。またストイックだとか、クールだとか。志があるとか。

今日電車の中で宗教と文化のかかわり方についての本(学校から借りた)を読んでたのだけど(余談だが電車の中で暴れまわる中学生に苛苛するのでなんとかしてほしい。体臭の酷い人と騒ぎまわって走り回って挙句の果てに頭上にモノが飛び交うような子供達の近くは苦手だ)、
そこで西洋宗教(主に一神教)の考え方と日本人古来の考え方の違いが書いてあった。

日本人の宗教概念は「ご利益があることを目的としている」らしい。
「見返りがなければ神は信じない。今この現実に見返りがあるから信じるんだ」という感じ。大雑把すぎるけど。だから初詣のお賽銭とかで、「今年こそ出世できますように」とか「お金持ちになりたいな」とか。そういう「現実的な欲望」の成就への願いを「神仏」に頼る。
もし報われなければ、「信心が足りない」「努力が足りない」で事足りる。
満足できなければ、人は無限に努力しなければならない。なぜなら努力し深く信じてお願いすれば等価交換で神様だって見返りをくれるから。

そういう「実益的」な考えを日本人は持っている。
だからどんどん働くし、勤勉で真面目。何事も身を粉にして働く。「日本人の趣味は仕事じゃないのか」と海外の人に言われる所以もそこにあると思う。


これに対して海外の考え方は、
「そもそも神を信じることができているというその事実がそもそもの救いだ」という考え方から始まり、「もしあなたに利益がもたらされないのであれば、それは神があなたにそれを与えることを望んでないからだ、欲してないからだ」「やろうとしてできなかったら、それはやらせようとした人の責任だ」という割合とても気楽で放任的な思いが見え隠れしている。いや隠してないか。
だから無理もせず、気楽にほどほどに努力ができるし、毎日がそれなりに満ちた感じになる。

・・・とまあ、こういう感じのことが書いてあった。
割とこの話に「なるほどな・・・」と納得した自分がいる。

確かに日本人の考え方は「等価交換」であり、「目上の者が下のものに何かを与えるのは『施し』であって『やってあげている』のだ」というどこまでも一見平等で、しかしその実一般庶民は目上のもののいいように踊らされる社会(=それから逃れるために競争社会に発展)を作り上げるに相応しい考え方を形成している。


日本人って苦労性なのかな、と思うが、それは心に余裕がないとも言える。
実際の今の社会はどうなんだろう。
こうやってココロにおおらかさがないぎすぎすした社会は、ひたすら社交辞令と円滑な上っ面のコミュニケーションがはびこる。

それは私にとっては気持ち悪いものでしかないから、そういう日本文化ってどうなんだろうな、と割と思う。

日本の文化、宗教観、そして日本の利己的で偏った思想について一番理解してないのは何よりも自分達自身じゃないのかな。
もっと人生に余裕を持ちたいし、どろどろとした社会に片までつかって生きていたいとは思わない。

まあこういうことをだらだらと考えながら、
苛苛と戦ったりしている毎日。

最近長文が纏まらない。



※割合忙しいのでBlog更新滞ること多くなるかもですー。
2009年10月29日 | Comments(2) | Trackback(0) | 雑記
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